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Dr.コラム

副院長の歴史と想い

2021年4月より甲斐リハビリテーションクリニックの副院長を務めている一瀬です。

私は、山梨県富士川町(旧増穂町)の出身で、増穂中学校〜駿台甲府高校〜駿台予備校〜山梨大学医学部医学科と進学しました。大学入学以前は整形外科医になる将来をイメージしていましたが、医学を学び、入学前には知らなかった病気や科を知ると、次第に他の可能性も考えるようになりました。結果、初期臨床研修の際、自分に潜在していた興味や適性に気づき、脳神経内科医となりました。研修後、2012年度から2020年度までを山梨大学医学部附属病院の脳神経内科で過ごしました。専門的な臨床経験を重ねながら,途中,東京大学の研究室へ留学し,脊髄小脳変性症や遺伝性痙性対麻痺,遺伝性パーキンソン病の分子遺伝学をテーマに研究を行い,博士号を取得しました.現在は、大学病院時代からの先輩である三輪院長の下、当院で診療に励んでいます。また、甲府の義父のクリニック(のだ内科クリニック)でも診療の時間をいただいており、生活習慣病等々の一般内科疾患や循環器疾患の診療にも携わっています。

私が医師を目指したきっかけとして、最も初期の動機付けとなったのは、小児期の大腿骨頭発育遅滞です。歩き始めた頃に両親が私の破行に気付き、整形外科で調べた結果、両惻の大腿骨頭がありませんでした。もともとあった骨頭が生後に壊死してしまった(ペルテス病)のか、これから出来上がるのか、もとから無くこれからも無いのか、しばらくは股関節を痛めぬように脚を縛って寝ながら経過を追う他なかったようです。幸い、なぜか大腿骨頭の発育が遅かっただけで、徐々に大腿骨頭が形成され、物心の付いた頃には破行もなく歩けていましたが、中学生になって大腿骨頭が年齢相当の大きさに成長するまで、長らく都内の大学病院整形外科へ通院していました。目の前の丸テーブルを囲む複数の白衣の人たち(担当医と、外来見学中の研修医や学生実習生たちだったようです)、シャウカステンに掛かった何枚かのレントゲン写真、という診察室の風景が記憶に残っています。

他にもいろんな経験をする中で、高校時代に医者を目指すようになりました。前述の通り、脳神経内科医になることに決めたのは、研修医になっていくつかの選択肢に迷った結果ですが、紆余曲折書ききれないので、最終的に決定付けるきっかけとなったエピソードを↓

ある時ある医師に「脳神経内科?治りにくい病気を毎日診ていても仕方ないぞ。医者なら治せ。」と言われました。ムカついた私は「そういえば高校時代、将来僕も医者になって患者さんを診て、人の力になりたい!と思った。素人で、病気を治す!なんて視点に至ってなかったけど、あの頃憧れたイメージとこのムカつきは、きっと僕が医者として大事にしたいことだ。」と思いました。

どんな病気や障害であれ、心を挫けさせずにいましょう。そのために一生懸命診させていただきます。

甲斐リハビリテーションクリニック副院長 一瀬佑太

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